平安時代の食事内容・回数は?貴族・庶民で違う?再現レシピも画像で紹介!
平安時代の食事内容はどのようなものだったか知っていますか?今回は、平安時代の食事内容を〈貴族・庶民〉別に主菜・副菜など紹介します。平安時代食べる回数・時間帯にくわえ、食事の再現画像なども紹介するので参考にしてみてくださいね。
(このページにはPRリンクが含まれています)目次
平安時代の食事内容とは…?
平安時代は794年から1192年までの約400年のことを指しますが、この頃の日本人はどんな食事をしていたのでしょうか。当時は現在では当たり前のように食べているものが無かったほか、貧富の差や身分制度がはっきりしていた影響で、貴族と庶民の食べていたものは明らかに違っていました。ここからは、平安時代の主菜や副菜を紹介します。
平安時代の食事内容【貴族・天皇】
平安時代の支配者階級の貴族や天皇がどのような食事を食べていたのか、主食と主菜・副菜などのおかずに分けて紹介します。
平安時代の貴族の主食
平安時代の貴族の主食の特徴は下記の通りです。
・主食は白米
・蒸して調理
・高く固めるようにして盛り付ける
平安時代は現在に比べて農業技術が発達していなかったため、白米は最高級品で誰しもが食べられるものではありませんでした。ただし、貴族階級は農民が税として納めた希少品の白米を食べることができたそうです。
当時、白米は蒸しておこわのような少し硬い状態の強飯(こわめし・こわいい)に調理され、これを高く盛り付けて食べていました。かなりの量のため、強飯は食べ残しても礼儀に反しなかったそうです。
平安時代の貴族の副菜
平安時代の貴族の主菜や副菜などのおかずは、税がわりに納められた地方の産品の山の幸から海の幸まで、かなり品数が食卓に並べられました。
・イワシやアユなどの魚
・鳥やイノシシなどの肉
・わかめなどの海藻類
・かぶ、大根、ナスなどの季節の野菜の煮物
・芋類の煮物
・酪(牛乳)や蘇(チーズ)などの乳製品
・果物
・唐菓子
主菜は川で獲れた魚であることが多かったようですが、鳥やイノシシ、クマなどの肉も食べていました。平安時代以降は仏教文化の影響で獣の肉を嫌う仏教徒もいましたが、多くは依然として食べていたようです。ただし、肉・魚とも現在のように流通網が発達していないため、干物や干し肉などの長期保存できる状態になったものを主菜としていました。
副菜は野菜の煮物や海藻類が多く並びました。また、平安時代以降は荘園で牛を家畜として飼うことで、チーズや牛乳などの乳製品も副菜として食卓に並ぶようになります。ただし、かなり希少な高級品であったため、貴族の間のみで食べられていたようです。
デザートとして並ぶ果物や唐菓子も希少品で、唐菓子とは小麦粉を練って油で揚げたもので、唐から伝わったものです。
平安時代の食事内容【庶民・農民】
平安時代の農民などの庶民はどんなものを食べていたのでしょうか。主食とおかずに分けて見てみましょう。
平安時代の庶民の主食
前述した通り平安時代の貴族は白米を主食にしていましたが、一方の庶民の主食には以下のような特徴がありました。
・アワやキビなどの雑穀
・煮て調理
・足りない場合は芋類や豆類も食べる
農民は米を作っていましたが、税として納めるため白米は食べられません。武士やその他の庶民も、白米は流通量が少ないため食べられなかったようです。庶民の主食はアワやキビなどの雑穀で、それも水増しするために水の中で煮ておかゆのようにして食べていました。雑穀の量が足りない時は、芋や豆類を一緒に入れておかゆにすることもあったようです。
平安時代の庶民の副菜
平安時代の庶民の主菜と副菜は基本的に一汁三菜とよばれるものです。
・魚の干物
・野菜などの汁物や煮物
・漬物
・塩
平安時代の庶民の食事は、貴族より品数は少なく質素ですが、野菜を中心としたおかずが2.3品並びました。日によっては主菜に魚や鳥などの料理がついたようです。貴族は仏教の影響で肉類を口にしない人もいたようですが、庶民はこの影響はなく、質素ながらも自由なものを食べていたとされています。