タバスコはアントニオ猪木が日本に持ってきた?権利収入や他の事業も紹介!

タバスコとアントニオ猪木さんの関係を知っていますか?日本に持ってきた人なのでしょうか?今回は、タバスコとアントニオ猪木さんの関係や権利収入について紹介します。アントニオ猪木さんのタバスコ以外の事業も紹介するので参考にしてみてくださいね。

(このページにはPRリンクが含まれています)

目次

  1. タバスコとアントニオ猪木さんの関係は?日本に持ってきた人?
  2. タバスコを日本に初めて持ってきた人はアントニオ猪木さん?
  3. タバスコを日本に初めて持ってきた人はアントニオ猪木さんではない
  4. ただしタバスコを日本に広めたのがアントニオ猪木さんなのは事実
  5. ちなみにタバスコの原産国・発祥はアメリカ
  6. アントニオ猪木さんにはタバスコの権利収入がある?
  7. アントニオ猪木さんの会社は当時唯一タバスコの販売権を持っていた
  8. ただし現在はアントニオ猪木さんはタバスコの販売会社を手放している
  9. アントニオ猪木さんはタバスコ以外にも事業をしていた?
  10. ①タバスコ以外の輸入ビジネス
  11. ②環境・エネルギービジネス
  12. ③飲食店経営
  13. タバスコを日本に広めたのはアントニオ猪木さん

タバスコとアントニオ猪木さんの関係は?日本に持ってきた人?

ピリッとした刺激のある風味のタバスコは、料理に辛みを足したいときに便利な調味料であり、日本でも長きにわたって親しまれています。タバスコを日本に持ってきたのはプロレスラーのアントニオ猪木さんであるという噂がありますが、事実なのでしょうか。今回はタバスコとアントニオ猪木さんの関係について紹介します。

タバスコを日本に初めて持ってきた人はアントニオ猪木さん?

独特の辛み成分と旨味のあるタバスコは日本でも人気の高い調味料の一つで、パスタやピザなどの味つけとしてよく使用されています。タバスコを日本に持ってきたのはアントニオ猪木さんなのでしょうか。ここでは、この噂の真相について紹介します。

タバスコを日本に初めて持ってきた人はアントニオ猪木さんではない

結論から言うと、タバスコを日本に初めて持ち込んだのはアントニオ猪木さんではありません。アントニオ猪木さんがタバスコの販売事業に関わる以前から、タバスコはすでに日本で販売されていました。

タバスコが日本で製造され始め、発売が始まった時期についてもはっきりとは分かっていません。ただ、第二次世界大戦後の1945年以降であることは確かだと言われています。

ただしタバスコを日本に広めたのがアントニオ猪木さんなのは事実

アントニオ猪木さんが調味料のタバスコを日本に初めて持ってきたという噂は間違いですが、彼がタバスコを日本に広めたというのは事実です。アントニオ猪木さんは実業家として貿易会社を経営しており、1970年代当時は日本で唯一タバスコの販売をおこなっていました。

そのため、結果的にはアントニオ猪木さんの働きかけにより、日本でもタバスコの製造や販売が広まっていったとされています。

ちなみにタバスコの原産国・発祥はアメリカ

辛味のある調味料タバスコは、メキシコ原産の唐辛子をもとに製造されているため、メキシコ原産と誤解している人も多いです。しかし実際にはタバスコの原産国・発祥はアメリカであり、1868年の発祥から現在も変わらず、アメリカで生まれた独自のレシピと製法のもとに製造され続けています。

アントニオ猪木さんにはタバスコの権利収入がある?

独特の辛味が人気のタバスコは、日本でも長きにわたり親しまれている調味料です。タバスコを日本に広めたアントニオ猪木さんにはタバスコの権利収入があると言われていますが、事実なのでしょうか。ここでは、アントニオ猪木さんの経営していた会社について紹介します。

アントニオ猪木さんの会社は当時唯一タバスコの販売権を持っていた

アントニオ猪木さんの経営していた会社は、1970年当時の日本において唯一タバスコの販売権を持っていました。タバスコが日本で初めて販売されるようになったのは1940年代であるため、アントニオ猪木さんの会社が初めてタバスコの販売に着手したというわけではありません。

ただ、1970年代においては、アントニオ猪木さんの会社がタバスコ販売の中心地だったと言えます。

ただし現在はアントニオ猪木さんはタバスコの販売会社を手放している

現在は、アントニオ猪木さんはタバスコの販売会社に関する権利を持っていません。会社を手放した理由についてはっきりとした説明はなされていませんが、おそらくは経済的な事情によるものだったとされています。そのため、タバスコの普及により得た利益はそれほど大きくはなかったと言われています。

アントニオ猪木さんはタバスコ以外にも事業をしていた?

ピリッとした刺激のある風味が魅力の調味料タバスコは、アントニオ猪木さんの経営する会社の働きにより日本に普及しました。アントニオ猪木さんは、タバスコ以外にもさまざまな事業に携わっていました。ここでは、アントニオ猪木さんの関わった事業について紹介します。

①タバスコ以外の輸入ビジネス

アントニオ猪木さんは1970年代に、主にブラジル産の食料品等を扱う貿易会社を立ち上げています。この会社はタバスコの他にも、ヒマワリの種やマテ茶などさまざまな商品を輸入するビジネスをおこなっていました。

②環境・エネルギービジネス

アントニオ猪木さんは環境に関わるビジネスにも携わっていました。ビジネスの概要は1970年代当時にブラジルで行われていた、サトウキビ由来のアルコールをエネルギーとして用いる研究に関わるものでした。この研究の際、アルコール精製により生じる搾りかすを家畜に与えて効率化と省エネを図るという事業でしたが、結果的にはあまりうまくいかなかったようです。

また、永久電気というエネルギー系のビジネスも手がけていましたが、こちらも結果としては失敗に終わりました。

③飲食店経営

アントニオ猪木さんは上記のようなビジネスの他に、アントニオ猪木酒場という飲食店の経営も行っていました。しかし新型コロナウイルスの影響により売り上げが減少し、結果2020年7月をもって閉店が決まりました。

タバスコを日本に広めたのはアントニオ猪木さん

独特の辛味成分と旨味が美味しいと評判のタバスコは、パスタやピザなどの料理に辛みを足したい場合によく使用される調味料です。タバスコが日本に普及したのは、アントニオ猪木さんが経営していた会社がタバスコを製造し、販売をしていたことがきっかけであるとされています。

関連する記事