うどんの発祥の地は「福岡」?語源や起源は?どう日本に広まったかなどを紹介!
うどんの発祥地はどこか知っていますか?知るとうどんに対するイメージが変わるかもしれません。今回は、うどんの発祥や起源に加えて、どうやって日本に広まったのかなどの歴史も紹介します。日本三大うどんについても紹介するので、参考にしてみてくださいね。
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「うどん」っていつからあるの?
うどんは古くから日本人に愛されている麺類の一つですが、いつ発祥したのか知っている人は少ないと言えるでしょう。ここでは、うどんの持つ特徴について詳しく解説します。
「うどん」という食べ物について
うどんは小麦粉から作られた麺ですが、ひやむぎやそうめんも同じ原料から作られています。これらの麺類の違いは、以下の通りです。
・うどん:麺の直径が1.7㎜以上
・ひやむぎ:麺の直径が1.3㎜以上1.7㎜未満
・そうめん:麺の直径が1.3㎜未満
うどん・ひやむぎ・そうめんの太さは、農林水産省のJAS規格で定義されています。製法にも違いがあり、うどんは生地を薄く伸ばしてから包丁や機械で細く切ることに対し、そうめんやひやむぎは生地を手や機械で引き延ばして作る製法が一般的です。このような違いがあることから、同じ原材料を使っていても、それぞれ独特の食感があると言えるでしょう。
うどんの起源は?発祥地はどこ?
うどんは、誰がどのようにして作った料理なのでしょうか。ここでは、うどんの起源や発祥地について、3つの説を解説します。
説①中国の「餛飩(こんとん)」がうどんに変わった説
うどんの起源は、奈良時代の遣唐使が伝えた中国の餛飩(こんとん)と呼ばれる料理にあると言われています。餛飩はワンタンのことで、当時は小麦粉を水で練り上げた生地を細長く切り、スープに浮かべた料理だったようです。
餛飩が日本に広がるとともに、餛飩(こんとん)が温飩(おんとん)と呼び名が変化し、最終的に現在のうどんと呼ばれるようになりました。
説②空海が中国からうどんの技術を持ち帰った説
平安時代に中国に渡った僧侶である空海が、小麦粉を使った食文化が発展していた中国から、うどん作りの技術を持ち帰ったとする説も有力です。
空海の故郷は四国にあり、讃岐地方は干ばつの被害が多く、米作りに悩まされていました。米を満足に食べることができなかった人々のために、比較的安定して収穫されていた小麦を使った、うどんのもとになった団子のような料理を考えたとされています。
説③円爾が中国から製粉技術を持ち帰った説
僧侶である円爾(えんに)が鎌倉時代に、中国から水車を活用した製粉技術を、日本に持ち帰ったとする一説もあります。その際にうどん作りに使われる小麦粉だけでなく、そば粉も作られるようになり、これが日本のうどん・そば文化の始まりだと言えるでしょう。
円爾によって開かれた、承天寺と呼ばれる福岡県の寺院では、饂飩蕎麦発祥之地(うどん・そば発祥の地)と書かれた石碑が建てられています。
うどんの日本における歴史は?
うどんは中国から伝わった料理だと言えますが、どのようにして日本各地に広まったのでしょうか。ここでは、うどんの日本における歴史を紹介します。
今のうどんになったのは江戸時代から
前述した通り、うどんは香川県や福岡県で発祥したとされ、現在食べられているうどんとは違った形をしていました。ここから日本各地にうどんが伝わっていくにつれ、その形状が変化していったと言えるでしょう。江戸時代になると出汁の文化も発展し、うどんは現在と同じ形で食べられていたことが、当時の文献や歌舞伎の演目などからわかっています。