奈良時代の食事内容・回数は?庶民・農民や貴族で違う?再現レシピも画像で紹介!
奈良時代の食事内容はどのようなものだったのか知っていますか?飛鳥時代からの変化はあったのでしょうか?今回は、奈良時代の食事内容・回数を〈庶民・農民・天皇・貴族・役人〉ごとに再現画像やカロリーとともに紹介します。奈良時代の食事回数や再現レシピも紹介するので参考にしてみてくださいね。
(このページにはPRリンクが含まれています)目次
- 奈良時代の食事の特徴は?飛鳥時代からの変化はあった?
- ①中国から箸が伝わった
- ②仏教が発展し肉食が禁止された
- ③肉食の禁止で乳製品が貴族の間で広まった
- ④東大寺の開眼法要がきっかけでソラマメが伝来した
- ⑤役人は大膳職で食事をしていた
- 奈良時代の食事内容・回数【天皇・貴族・上級役人】
- ①白米を主食に15品ほどで塩分が多くカロリーは高めだった
- ②食事回数は朝晩2回が基本
- ③高級な漆器を使っていた
- 奈良時代の食事内容・回数【下級役人】
- ①玄米ご飯を中心に7品ほど食べていた
- ②食事回数は朝晩2回が基本
- ③食器は土器を使っていた
- 奈良時代の食事内容・回数【庶民・農民】
- ①一汁一菜でカロリー不足だった
- ②食事回数は朝晩2回が基本
- 奈良時代の食事再現レシピ
- ①さくべい
- ②醤(ひしお)味噌
- ③蘇(そ)
- 奈良時代の食事を楽しめる店を紹介
- ①奈良パークホテル
- ②万葉亭
- 奈良時代の食事は身分によって大きく違っていた
奈良時代の食事の特徴は?飛鳥時代からの変化はあった?
奈良時代は日本の歴史の中でも、中国からの影響を大きく受けた時期です。このため、食文化も中国からの影響が大きいと考えられています。ここでは、奈良時代は飛鳥時代からどのように食事が変化したのか詳しく解説します。
①中国から箸が伝わった
奈良時代に遣隋使の小野妹子によって箸が中国から伝わり、聖徳太子が箸食制度を採用したことで皇族や貴族の間で少しずつ普及するようになりました。この後歴史が進み、平安時代にかけて庶民にも箸が一般的に浸透していきます。弥生時代の遺跡からも箸が出土しているものの、当時は祭事に使うためのもので食事用ではなかったようです。
②仏教が発展し肉食が禁止された
自然崇拝だった古墳時代から飛鳥時代に入ると仏教が伝来しましたが、ごく一部の皇族や貴族が信仰していただけで、日本の中でも大きな存在とはいえませんでした。しかし、中国からの影響を強く受ける奈良時代に入ると僧の権力が大きくなり、同時に仏教も国内で発展していきました。
皇族や貴族などの権力者を中心に仏教が信仰されたことから肉食も禁止され、ほとんどの動物性の食材は食べられなくなっていきます。
③肉食の禁止で乳製品が貴族の間で広まった
仏教によって肉食が禁止されていきましたが、貴族の間ではまだ禁止されていなかった乳製品が広まっていきました。牛乳は非常に高価なものであり、日持ちもしないためさまざまな工夫をしながら少しずつ食べていたようです。
蘇(そ)は奈良時代に発祥した、牛乳を煮詰めて固めた現代のチーズのような乳製品です。2020年には、SNSを中心に蘇を再現するのが流行しました。しかし、当時のレシピは歴史の文献でも既に失われているので、全く同じものを現代で作ることは不可能です。
④東大寺の開眼法要がきっかけでソラマメが伝来した
ソラマメが日本に伝わったのも奈良時代と言われています。そのきっかけとも言える歴史は、東大寺の大仏が完成した時に遡ります。大仏像に瞳を入れる開眼法要を行う際、インドから菩提僊那(ぼだいせんな)という高僧を招きました。
開眼法要の際に菩提僊那は、日本の僧である行基(ぎょうき)にソラマメを手渡しました。行基がそのソラマメを兵庫県に植えたことが、日本でのソラマメ栽培の歴史の始まりだといわれています。
⑤役人は大膳職で食事をしていた
奈良時代の歴史における最大都市である平城京では、一万人を超す役人が勤務を行っていたといいます。役人は、大膳職と呼ばれる食堂のような場所で食事をしていました。また、このような場所を指すだけではなく、宮内庁の食事や配膳をつかさどる役人を大膳職と呼ぶこともあります。
奈良時代の食事内容・回数【天皇・貴族・上級役人】
出典: @YukariW813
まずは奈良時代の天皇や貴族など、位の高い人々の食文化を見てみましょう。食事の品数や回数に加え、一日の摂取カロリーや使われていた食器などを詳しく紹介します。
①白米を主食に15品ほどで塩分が多くカロリーは高めだった
奈良時代の皇族や貴族たちの食事の献立例は、以下の通りです。
・白米
・いわしとわかめの汁物
・アワビのウニ乗せ
・車エビ
・干し蛸
・いりこ
・鹿肉の酢の物
・アユの煮付け
・ウリとナスの漬物
・ところてん
・なます
・漬け物
・蘇
・大豆餅
・煎餅
・干し柿
・酢
・塩
・酒
・醤(ひしお)
奈良時代の皇族や貴族の食文化で特徴的なのは、当時高級品であった白米を主食にしていたことです。また、物流な未発達な時代にアワビやエビなどの傷みやすい食材を手に入れられるのは貴族の特権でした。普段は保存の効く干した魚などが食べられていましたが、特別な日の献立には新鮮な海の幸が並びます。
たくさんのおかずの調理には味付けはほとんどされておらず、卓上に置かれた塩・酢・酒・醤を付けて食べていました。おかずの量から推測しても、かなりの量の塩分を摂取していたことがわかります。栄養価を計算すると一日で約3400キロカロリーの摂取となり、現代の成人男性の摂取目安の約1.5倍です。
②食事回数は朝晩2回が基本
奈良時代の貴族や皇族は、位が高くても朝晩の2回が基本の食文化でした。しかし、激しい労働をする役人は、大膳職からお昼に簡単な軽食が支給されたそうです。このことから1日2食が基本であっても、身分が高ければ空腹に悩まされることはありませんでした。