心太(ところてん)の漢字の由来・意味は?歴史や様々な食べ方・味付けも紹介!
「心太」と書いて「ところてん」と読みます。「心太」の漢字を「ところてん」と呼ぶ理由を知っていますか?今回は、「心太」の漢字の由来や意味に加えて、ところてんという名前になった理由を紹介します。心太の歴史や、食べ方も紹介するので、参考にしてみてくださいね。
(このページにはPRリンクが含まれています)目次
「心太」で「ところてん」と呼ぶ理由は?
「心太」と漢字で書いて「ところてん」と読みますが、当て字とも思われるこの名前が付けられた理由はあるのでしょうか。この漢字の、由来や意味を詳しく解説します。
「心太」の漢字の由来・意味
心太は天草を煮溶かし、これによって出来る寒天質を冷まして固めたものを、天突きと呼ばれる道具で突いて作った食品です。心太という漢字をところてんと読むのには、この原料の天草と大きく関係があります。天草が煮凝る様子を、漢字で凝海藻(こるも)と表し、「凝」の語源が「心」であることからこの漢字が使われるようになりました。
また、「太」は天草の茎が太いことからこの漢字が取られ、2つの漢字が合わさり「心太」は成り立ったと考えられています。
「こころふと」から「ところてん」に名前が変わった
天草が名前の由来である心太は、もともと漢字の訓読み通り「こころふと」と呼ばれていました。何度も呼ばれるにつれ、「こころたい」「こころてい」「こころてん」と少しずつ名前が変化していき、最終的に今の呼び名である「ところてん」に名前が変わったといわれています。
心太はいつから食べられていた?
のどごしの良い食感を愉しめる心太ですが、どこで心太は生まれ、いつから食べられるようになったのでしょうか。心太の歴史や、寒天との違いもあわせて紹介します。
心太の歴史
心太の歴史は古く、中国で天草を使ってスープを作ったところ、それが固まったことがきっかけとなり心太が生まれたと言われています。日本へは西暦500年代の飛鳥時代に、仏教と一緒に精進料理として伝えられました。
心太ははじめ肉食を禁じられている僧侶の食事とされていましたが、やがて上流階級の人々に伝わって食べられていたことが、平安時代の歴史文献にも記されています。庶民が口にすることはめったにない心太でしたが、室町時代頃から一般的に広まって、江戸時代には心太を売り歩く商人の姿が街中で見られたようです。
心太と寒天の違い
心太と似た食品の寒天は、原材料はどちらも天草ですが、製法に違いがあります。心太は天草を煮溶かして固めて作るのに対し、寒天は心太を凍らせた後、干して乾燥させたものです。このため心太は、加工の工程が多い寒天より天草の香りが強く、磯の風味を感じられるでしょう。
寒天が作られたきっかけは、江戸時代食べ残した心太を真冬の屋外に置いておいたところ、凍ってしまったことが始まりとされています。
(*心太と寒天の違いについて詳しく知りたい方はこちらの記事を読んでみてください。)
心太の食べ方は?
天草から作られた心太は、ミネラルや食物繊維が豊富で積極的に取り入れたい食品です。心太には、どういった食べ方があるのでしょうか。心太の地域別の食べ方や、文化を紹介します。