そうめんが七夕の行事食になったのはなぜ?意味・由来は?アレンジレシピなども紹介!
七夕にそうめんを食べる理由を知っていますか?全国的に食べるようになったのはごく最近のようです。今回は、七夕の行事食がそうめんになった由来や、食べる意味などを紹介します。そうめんの人気アレンジレシピも紹介するので、参考にしてみてくださいね。
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7月7日「七夕」はそうめんの日?
七夕の日にはそうめんを食べる風習がありますが、それと同時に7月7日はそうめんの日となっています。元々七夕にそうめんを食べる風習があったのは、太平洋側の東北地方と北海道のみでした。この風習を全国に広めるべく、全国乾麺協同組合連合会が昭和57年から普及活動をしています。ここからは、そうめんが七夕の行事食になった理由などを紹介します。
七夕の行事食がそうめんになったのはなぜ?由来は?
七夕でそうめんを食べるようになったのは何故でしょうか。そうめんはそれほど価格も高くなく、七夕でなくても夏にそうめんを食べることは多いので、行事の風習として食べるには不釣り合いと感じる人もいるでしょう。七夕にそうめんを食べる由来と意味を紹介します。
説①古代中国の帝の子供が由来
七夕の行事食がそうめんになった由来に関する一つ目の説は、古代中国から伝わった索餅というお菓子が元になったとする説です。古代中国の皇帝の子供が7月7日に熱病で亡くなり、その後亡くなった子供の霊が熱病を流行らせました。そこで生前その子供が好きだった索餅を供えたところ、熱病の流行が治まったそうです。
その後、この話が奈良時代の日本に伝わり、同じ小麦粉で作られたそうめんが食べられるようになったと言われています。
説②織姫の織り糸が由来
二つ目はそうめんの細さを、織姫の使う糸に見立てている説です。元々七夕は節句の一つで、占いや呪いが重要視されていた平安時代には毎月節句が行われていました。その節句には各旬の食べ物が振る舞われたことから、七夕には織姫の伝説をもとにしたそうめんが食べられるようになったとされています。
説③天の川が由来
三つ目の説は、白く細いそうめんを天の川に見立てて食べ始めたとする説です。また、本来は陰陽五行説にあやかって、白だけではなく五色の色を使っていたようです。現在ではそうめんにはそれほど多くの色はありませんが、当時の方が華やかな見た目であったことが推測されます。
七夕にそうめんを食べる意味はある?
七夕は節句の一つで、元旦の節句から7つ目の節句に当たります。現代のように何でもある時代とは違い、不便な時代に食べるそうめんにはさまざまな意味がこめられていました。ここでは、七夕にそうめんを食べる意味について詳しく解説します。
七夕にそうめんを食べる意味は「無病息災」
前述で、そうめんは亡くなった皇帝の子供に索餅を供えて熱病を鎮めたことが由来になったと説明しましたが、その説に基づいてそうめんには「無病息災」の意味があるとされています。そのため、七夕の日に素麺を食べることで、一年健康に過ごせると言われています。
また、昔は服は購入するものではなく、自分で布を織って行事の度に縫い、その後行事が終わったらほどいて一枚の布に戻すものでした。そこで、そうめんを織姫の糸に見立て、縫い物や織物が上手くなりますようにと願いながら食べることもあったようです。
ちなみに、笹の葉に飾る短冊も元々は自由に書くものではなく、その願いごとは織姫が叶えることから「縫い物が上手くなりますように」などの裁縫に関することを書くものでした。