江戸時代の食事内容・回数は?将軍・武士・庶民・農民で位別に比較して紹介!

江戸時代の食事内容はどのようなものだったか知っていますか?今回は、江戸時代の食事内容を〈農民・庶民・武士・将軍・大名〉別に再現画像を用いて紹介します。江戸時代の食べる回数・時間や、再現レシピも紹介するので参考にしてみてくださいね。

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目次

  1. 江戸時代の食事内容とは…?
  2. 江戸時代から食事回数が1日3回に変化した
  3. 地位に関わらず白米が中心の生活
  4. 江戸時代の食事内容【農民】
  5. 江戸時代の食事内容【庶民・飛脚】
  6. 江戸時代の食事内容【武士】
  7. 江戸時代の食事内容【将軍・大名】
  8. 江戸時代の食事の再現レシピ
  9. ①納豆汁
  10. ②たまごふわふわ
  11. ③粉団子汁
  12. ④きんぴらごぼう
  13. ⑤冷卵羊羹
  14. 江戸時代の食事は階級によって様々

江戸時代の食事内容とは…?

1603年から1867年まで265年間続いた江戸時代ですが、歴史に興味があっても食事内容まで知っている人は少ないかもしれません。江戸時代の人々がどのようなものを食べていたのか、その食生活を見てみましょう。

江戸時代から食事回数が1日3回に変化した

江戸時代の初め頃までは、公家・庶民に関わらず午前中と夕方に食事を取ることが一般的で、食事回数は1日に2回だったと言われています。しかし、江戸時代の中期になると正午頃にも食事を取るようになり、現代と同じ1日3回の食事回数に変化しました。

このことには2つの理由があり、はじめに挙げられるのは1657年に起こった、明歴の大火と呼ばれる江戸の大火事です。被害にあった建物の再建のため、大工や左官屋などの肉体労働者が江戸に集まると、1日2食では体力が持たずに昼食を取る人が増えました。

また、照明用の油が江戸中期になると安く手に入るようになり、灯りの普及によって人々の生活が変化しました。夜間も行燈(あんどん)を使い、活動が増えたことから、食事回数も変化したのではないかと考えられています。

地位に関わらず白米が中心の生活

奈良時代から日本での主食となった米ですが、江戸時代以前は収穫量も少なく、身分の高い人しか食べることのできない贅沢品でした。しかし、江戸時代の中期に徳川吉宗によって行われた享保の改革で、米の収穫量は格段に増加したと言われています。また、水車を使った精米の技術の向上により、白米は身分や地位に関わらずこの頃から一般的に流通しました。

白米が中心の食生活となった江戸時代は、古くから日本にある肉食を禁忌とする食文化が続き、魚は高級品とされていたため庶民が口にすることは少なかったようです。このような食生活が一般的だった江戸時代には、脚気と呼ばれる病気が蔓延しました。脚気の主な症状は倦怠感や手足のしびれで、重症になると心不全を起こして死に至ることもあります。

この脚気の症状は原因不明の病として「江戸わずらい」と呼ばれ、流行は大正時代まで続きました。のちにわかったことですが、脚気は米を精米する際に取り除かれる胚芽部分に多く含まれるビタミンB1の欠乏症で、質素なおかずで白米ばかりをたくさん食べていたことが原因です。

江戸時代の食事内容【農民】

出典: @edo_guide

江戸時代の農民は、以下のような食事を主に食べていました。

【朝】
・もち
【昼】
・かて飯
【夜】
・粉団子汁

江戸時代の農民は米作りをしているにも関わらず、収穫された米は年貢として納めていたため、農民が口にすることはほとんどありませんでした。朝食に良く食べられていたもちは、もち米ではなくそばやあわ・ひえなどの雑穀で作られたものです。

昼食は農作業の間に、玄米と大根の根や葉をたっぷりの水で炊いた、かて飯と呼ばれる雑炊のようなものが良く食べられます。夕食は小麦粉を練った団子を汁物に入れて煮込んだ、粉団子汁と呼ばれる料理を作ることもありました。山菜や豆類・植物の茎まで、食べられるものはすべて使った質素な食生活でしたが、脚気にかかることはあまりなかったようです。

江戸時代の食事内容【庶民・飛脚】

江戸時代の庶民や飛脚の、1日の食事は以下の通りです。

【朝】
・白米
・みそ汁
・漬物

【昼】
・白米
・みそ汁

【夜】
・白米
・みそ汁
・ひじきの煮物


江戸時代の庶民は、前述の通り白米を中心とした食生活を送っていて、1日に4~5合の白米を食べることもありました。米は朝のうちに1日分をまとめて炊き、おひつで保存して昼食と夕食は冷や飯が食べられていたようです。

夕食は野菜やひじきの煮物などのおかずが添えられますが、裕福な家庭でも魚が食べられるのは2週間に1回程度で、まぐろやいわしなどは手に入りやすく、庶民から好まれたようです。また、豆腐や納豆・小魚やしじみの佃煮などは、手に入りやすいタンパク源として重宝されていました。

江戸時代の伝達手段として活躍した飛脚は、1日に150km走ることもありますが、庶民と同じような食事をしていました。ただ一つ違う点は白米ではなく玄米を主食とし、糖質からエネルギー源を産出する、ビタミンB1をしっかりと摂っていたことでしょう。このことから飛脚は一日走り続けてもエネルギー不足になることはなく、脚気にかかることもなかったようです。

江戸時代の食事内容【武士】

江戸時代の武士の、一日の食事例は以下の通りです。

【朝】
・白米
・みそ汁
・漬物

【昼】
・白米
・みそ汁
・きんぴらごぼう

【夜】
・白米
・納豆汁
・さといもの煮物
・漬物


武士の中でも下級武士の人々の食生活は、庶民の食事とほとんど変わらず、白米を中心とした食生活だったことがわかります。魚を口にするのは月に3回程度で、納豆や豆の煮物などをおかずとすることもありました。下級武士には普段は農民として働く人も多く、その生活は決して楽ではなかったようです。

上級武士と呼ばれる身分の高い武士は、上記のような献立に加え、魚料理を食べる機会も多かったといいます。このことから、武士の中でも階級によって、食生活に大きな違いがあったと言えるでしょう。

江戸時代の食事内容【将軍・大名】

出典: @tanakahonke

江戸時代の将軍や大名の食事は、以下のような献立です。

【朝】
・白米
・吸い物
・鱚(きす)の塩焼き
・漬物

【昼】
・白米
・みそ汁
・鰈(かれい)の煮付け
・漬物

【夜】
・白米
・はまぐりの吸い物
・平目の刺身
・鯛の塩焼き
・野菜の煮物
・わかめの酢の物
・漬物
・清酒


将軍や大名などの、位の高い人々の食生活は非常に豊かで、毎食ごとに魚が食べられていたようです。特に好まれたのは、鱚や鯛などの縁起の良い名前を持つ魚で、鰈や平目などの白身魚も高級魚とされていました。また、上記の献立に加えて卵料理が食べられたり、夕食時にはお酒を嗜んだりしながら食事をすることもあったようです。

また、江戸時代は5代将軍徳川綱吉の出した、生類憐みの令によって肉食を禁じられたこともありました。しかし、他の将軍や大名などの中には養生のための薬として、牛肉や猪肉などを食べる人もいたようです。

江戸時代の食事の再現レシピ

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