室町時代の食事内容・回数は?庶民・武士で違う?再現レシピも画像で紹介!

室町時代の食事内容はどのようなものだったか知っていますか?鎌倉時代からの変化はあったのでしょうか?今回は、室町時代の食事内容を〈武士・庶民・貴族〉ごとに再現画像とともに紹介します。室町時代の食事回数や再現レシピも紹介するので参考にしてみてくださいね。

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目次

  1. 室町時代の食事の特徴は?鎌倉時代からの変化はあった?
  2. ①外国から食べ物が輸入されるなど食が豊かな時代だった
  3. ②お米の調理法が変わった
  4. ③みかんが商品化された
  5. ④料理に出汁を使うようになった
  6. ⑤現代でも馴染みのある調味料が広まった
  7. ⑥味噌汁を飲み始めた
  8. ⑦室町時代は茶の湯が流行して甘い食べ物が増えた
  9. ⑧笹団子が登場した
  10. 室町時代の【庶民】の食事内容・回数は?
  11. 普段はひえがゆを主食にしていた
  12. 食事回数は1日3回が基本
  13. 室町時代の【武士】の食事内容・回数は?
  14. 一汁二菜・一汁三菜だった
  15. 食事回数は1日3回が基本
  16. 室町時代の食事再現レシピ
  17. ①室町時代風そうめん
  18. ②日野菜漬おにぎり
  19. ③七草粥
  20. 室町時代の食事を再現してみよう

室町時代の食事の特徴は?鎌倉時代からの変化はあった?

日本の歴史の中でも、貴族の時代から武士の時代となり、安定した時代だった室町時代は食に関して現代に大きな影響を与えています。ここでは室町時代の食事の特徴を紹介していきますが、鎌倉時代からの食事の変化はどのようなものがあったでしょうか。

①外国から食べ物が輸入されるなど食が豊かな時代だった

室町時代以前の輸入品は中国からなどの比較的近い国からのものばかりでしたが、室町時代に入るとヨーロッパからの食品も多く輸入されるようになりました。

・カステラ
・ボーロ
・かぼちゃ
・じゃがいも
・とうもろこし
・唐辛子


カステラやボーロは南蛮菓子と呼ばれ、砂糖や卵をたっぷりと使ったお菓子は日本にはないものでした。また、スペインやポルトガルが南米への進出を始めており、かぼちゃやじゃがいもなどの南米が原産の野菜が入ってきたのもこの頃です。

②お米の調理法が変わった

室町時代は、特に貴族の間で米の調理法が変化していました。それまでは長く土器を使うのが一般的でしたが、製鉄の技術が進歩することで鉄釜が作られ、湯取り法と呼ばれる調理の仕方で姫飯(ひめいい)が作られるようになります。姫飯とはたっぷりのお湯で米を茹で、お湯を濾して作る柔らかいご飯のことです。

しかし、鉄釜が広まるには時間を要したので室町前期の頃、庶民は変わらず土器で蒸して作った玄米の固い強飯(こわいい)を食べていました。土器は姫飯を調理するには不向きで、土器自体が割れてしまうことがあるためです。しかし、室町後期に入ってから鉄釜が普及し、一般的にも姫飯が食べられるようになったと言われています。

③みかんが商品化された

みかんは昔から日本にある柑橘類ではありますが、酸味が強く現在の印象とは違ったものでした。室町時代になると和歌山の有田では品種改良された甘味の強いみかんが作られるようになり、現在でも有数のみかんの産地となっています。

紀州のみかんは室町時代でも評判が高く、甘い果物としてお土産にしたり、栽培している場面を短歌に読まれたりと多くの記述が記されています。

④料理に出汁を使うようになった

室町時代になると昆布や鰹節などの乾物が普及し始め、出汁をとる文化が発展し始めます。煮物や漬物は室町時代以前からあったものの、出汁を取って作った料理は鎌倉時代の終わりごろからです。当時は「タシ汁」と呼ばれ、精進料理で臭みのある鯉の身を上手く食べるための知恵のような使い方でした。

室町時代になると、日本料理の流派である大草流が鰹節を用いた出汁の使い方を定着させ、現在の日本料理の基礎となりました。

⑤現代でも馴染みのある調味料が広まった

室町時代に庶民の間に広まったものの中に醤油や味噌があります。醤油は古代から日本で作られてきたものではありますが、鎌倉時代になると溜まり醤油が作られ、刺身などの味付けとして使われるようになります。そこから現在のような醤油となり、関西地方を中心に全国へ広がっていきました。

また、室町時代の末期になると大豆の生産量が格段に向上し、庶民の間で味噌を作る方法が広まっていきます。当時、戦になると農民でも駆り出されることもあったため、味噌は携帯食としても貴重なたんぱく質として重宝されたようです。

⑥味噌汁を飲み始めた

味噌は平安時代ごろは貴族だけが食べられる貴重なものでしたが、大豆の生産が向上し、貴族以外の間でも味噌が食べられるようになりました。味噌汁は戦のときの陣中食として考案され、干した芋がらに味噌を巻き付けたものを携帯し、お湯で溶いて食べていました。

さらにご飯を入れることで汁かけご飯となり、熱中症の予防としても塩分が手早く食事がとれるため、戦国時代に入ると欠かせない食品となります。現在の各地にみられる味噌は、戦国時代にその土地の武将が考案したものと言われています。

⑦室町時代は茶の湯が流行して甘い食べ物が増えた

室町時代のなかでも1400年後半の東山文化の頃に入ると禅の精神から「わびさび」のさまざまな文化が開花し、茶の湯から甘い茶菓子も発展していきました。

・羊羹
・煎餅
・打栗
・栗の粉餅


茶の湯は貴族からではなく、質素なふるまいに重きを置く武家の間で流行していきました。これらのお菓子が広まったのも茶の湯の茶菓子からですが、羊羹や煎餅は現在のような物ではなかったようです。茶の湯を現在の茶道の形に作り上げたのは千利休であり、元々は堺の町衆の一人でした。

懐石料理を茶の湯で取り入れたのも利休であり、本来は修行僧が食べるような質素なものでしたが、客人をもてなすために少しずつ豪華になっていきました。豆腐もこのころ作られるようになりましたが、本来は牛や羊の乳で作ったチーズのような物であったようです。しかし、日本では仏教の関係から肉食文化がなかったため、大豆で作られるようになりました。

⑧笹団子が登場した

新潟名物の笹団子ですが、登場したのは室町時代と言われています。元々の拠出ははっきりしませんが、年貢として収める「上米」の消費を抑えるため、質の悪いくず米をできるだけ美味しく食べるために農民が作り出したものと言われています。

その後上杉謙信の家臣である宇佐美定満が兵糧食として考案し、持ち運びしやすい現在のような笹に包まれたものになったようです。

室町時代の【庶民】の食事内容・回数は?

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